
松本城
長野県松本市にある近世日本の代表的平城。1504年から戦国時代に深志城として築城され、1590年から石川数正・康長親子により大天守を含む現在の城郭が整備された。現存12天守の一つで国宝5城に数えられ、唯一の現存平城天守として安土桃山期の意匠を伝える。
3行サマリ
- 1504年戦国期に深志城として築かれ1596-97年に石川氏が大天守を造営した平城。
- 現存12天守のうち唯一の平城天守で、漆黒の下見板張で国宝5城にも数えられる名城。
- 1872年市民が博覧会収益で買い戻した日本の文化財保存運動の最初期事例として知られる。
歴史
長野県松本市の松本盆地中央部に建つ松本城は、戦国時代の永正年間に深志城として築かれ、安土桃山期の石川氏により近世城郭として再編された日本城郭建築の代表作である。現存12天守の一つで国宝5城に数えられ、12天守のうち唯一の平城として、五重六階の連結複合式天守と漆黒の下見板張りの外観で知られる。
永正年間(1504-1520年)に信濃守護家小笠原氏が居城林城の支城として深志城を築いたのが始まりとされる。1550年には甲斐の武田信玄による信濃侵攻で林城・深志城が落城し、武田氏は深志城に城代馬場信春を配置して松本盆地全体を支配した。武田氏は越後の上杉謙信や信濃小県の村上義清と抗争を繰り返しながら、信濃国一帯を領国化した。1582年の甲州征伐で武田氏が滅亡すると、本能寺の変後の天正壬午の乱で小笠原貞慶が旧領を回復し、城名を「松本城」と改めた。
1590年の小田原征伐後の徳川家関東移封に伴い、小笠原秀政は下総古河へ移り、代わって石川数正が松本に入城した。数正と子康長が天守を含む城郭・城下町を整備した。数正は徳川家を出奔して秀吉の下に走った経緯があり、天守の築城は関東を領した家康に対する牽制・防衛の意図があったとされる。2025年の松本市による建築木材の年輪年代調査で、大天守の柱の伐採年が1596年と特定され、これにより従来諸説あった天守の建造年が1596-1597年頃に確定した。1633年(寛永10年)、3代将軍徳川家光の善光寺参拝を受け入れる準備として藩主松平直政が辰巳附櫓と月見櫓を増築し、現在見られる連結複合式天守の姿が完成した。
1613年に石川康長が大久保長安事件で改易されて以降、小笠原秀政・松平康長(戸田氏)・水野家・戸田松平家(再)と藩主が交代しつつも、武家諸法度の制約により大規模な改修はほぼ行われなかった。1727年(享保12年)には本丸御殿が焼失し、以降の藩政は二の丸御殿で執行された。1686年には農民が松本城を取り囲む貞享騒動が発生し、首謀者多田加助ら28名が翌年処刑される事件もあった。明治維新を迎えた1872年、新政府の城郭破却令により天守は競売にかけられ解体の危機に瀕したが、地元有力者の市川量造らが「筑摩県博覧会」を天守を会場に開いて入場収入を充て、天守を買い戻して破却を免れた。
明治30年代頃から軟弱地盤と支持柱の老朽化により天守が大きく傾き始め、松本中学校長小林有也らが「松本天守閣天主保存会」を結成して広く修理寄付を募り、1903年から1913年にかけて「明治の大修理」が実施された。1930年に国の史跡、1936年に天守ほか5棟が国宝保存法の旧国宝に指定され、1952年の文化財保護法施行後に改めて国宝指定された。1950年から1955年にかけて国宝保存事業第1号として「昭和の大修理」が行われ、1990年に黒門二の門と袖塀、1999年に太鼓門枡形が伝統工法による木造復元で再建された。2011年の長野県中部地震で天守の壁等25か所にひびが入る被害を受けたが補修が進められている。
文化的意義
松本城天守は、現存12天守のうち唯一の平城天守であり、国宝5城に数えられる近世日本城郭建築の到達点の一つである。望楼型から層塔型への過渡期的構造を併せ持ち、五重六階の大天守を中心に乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓を連結する複合連結式天守として、安土桃山期の戦闘性と江戸初期の儀礼性が一つの建築に共存する稀有な作例である。1872年の解体の危機を市民の博覧会収益で買い戻し、明治・昭和の大修理も寄付を含む長期事業として継承された。文化財保存運動の市民参画モデルとしても重要な位置を占める。
建築的特徴
縄張りは梯郭式に輪郭式を加えた特徴的な平城形式で、本丸を凹型の二の丸が囲み、さらに四方を三の丸が囲む三重構成を全て水堀で隔てる。大天守は五重六階の層塔型に分類されるが、最初の層塔型天守とされる丹波亀山城に10年以上先立つため、構造的には望楼型から層塔型への過渡期的な姿を示す。2重目の屋根は天守台の歪みを入母屋大屋根で調整する望楼型の内部構造を持ちながら、外見は寄棟を強引に形成する独特の意匠が見られる。北面に乾小天守を渡櫓で連結し、東面には1633年に増築された辰巳附櫓と月見櫓が複合する複合連結式天守で、月見櫓に配された赤い欄干は風雅な意匠として知られる。外壁は初重から最上重まで黒漆塗りの下見板張りで、漆黒の城影が松本城の象徴的な印象を生む。各重の屋根隅は調整の結果さまざまな方向を向き、これも松本城天守の特徴の一つとなっている。
訪問ガイド
JR中央本線松本駅から徒歩約15分、または周遊バスで約7分の中心市街地に位置する。城址は松本城公園として無料開放されており、本丸内の天守入場のみ有料で、最新の入場料・営業時間・特別公開情報は公式サイトで確認すること。天守内部の見学は最上階までの階段が極めて急峻で、繁忙期には入場制限と長時間待ちが発生するため、平日午前の早い時間帯または閉場間際の入場が比較的快適である。撮影位置としては、内堀越しに南東側から天守と乾小天守の連結形を捉える構図、北アルプスを背景に天守を組み合わせる遠望構図が定番である。桜の時期(4月上旬-中旬)、紅葉時期(11月)、雪化粧時期(1-2月)それぞれに異なる景観美が楽しめる。城下の旧開智学校や中町通り・縄手通りなど明治期建築と城下町風情を併せた周遊計画が組みやすい。
周辺スポット
徒歩約10分の旧開智学校(国宝)は明治9年(1876年)築の擬洋風建築で、近代日本の学校建築初期の代表作として国宝に指定されている。城南東側の中町通りは漆喰の蔵造り商家が並ぶ伝統的町並みで、土産物店・カフェ・工芸品店が連なる。城南側の縄手通りは女鳥羽川沿いの細路地で、レトロな商店が連なる散策路として人気が高い。松本市美術館は近隣出身の草間彌生作品を多数所蔵することで国際的に知られる。少し足を延ばすと、上高地・乗鞍高原・美ヶ原高原など北アルプス山岳観光の起点としての立地でもある。
現代における価値
松本城は、1872年の城郭破却の危機を市民の博覧会収益で買い戻したという史実を持つ、文化財保存運動の市民参画型モデルの最初期の事例である。明治の大修理(1903-1913)も小林有也らが広く寄付を募って実現した市民事業であり、戦後の国宝保存事業第1号として位置づけられる昭和の大修理(1950-1955)、1990-1999年の伝統工法による木造復元と続く保存史は、文化財をどう次世代に継承するかという日本社会の試行錯誤を一つの建築に集約している。2025年に建築木材の年輪年代調査で天守建造年が確定するなど、調査技術の進展による「再発見」が現代も継続する稀な事例でもある。